アメリカ音楽留学
私が最初にアメリカ音楽留学したのは90年代。
日本の音楽短大を終え、
まだなにかできるのではないかという期待を込めて、
単身アメリカへ。
ただ音楽が有名だというだけで飛び込んでいった。
どんな教授がいるかもまったくリサーチせずに。
今考えると無謀なこと。
大学は夏休みに入ったばかりの5月。
英語補修クラスを受けながら
クラリネットの先生に会いに行こうと音楽学科へ。
最初のドアを緊張しながらノックし、
練習した英語のセリフを繰り返した。
中から笑顔で教授がでてきた。
ハワードクルッグ先生。
後々語り継がれる
日本からきた小娘の登場。
日本から来ました。
レッスンしてください。
熱意が伝わったのか
めんどくさかったのかは不明だが
快く受け入れてくれた(と信じる)
そこから大学生活が始まって、
4〜5つあるオーケストラ、2〜3のバンドに
振り分けるためのオーディション。
レッスン、チェンバーミュージック、マスタークラス
日々練習に明け暮れた。
頻繁に行われる校内演奏会。
その数たるや半端ない。
そこで気づいた。
少しの本番であっても
「良かったよ」「good job! 」
声をかけてくれる。
なんと励まされたことか!
(ミスは多々あれど)
できた、終わった、達成したんだという
自己肯定感。
そしてそこから、自分も周りに声をかけていこう
がんばったね、よかったよ、聴いてたよ。
競うための音楽
だけではなく
互いに高めあう
音楽に気づいてもらえるよう
ある程度歳を重ね
人生経験踏まえ
楽器を離れた経験もある
今だから
ゆっくりと次の世代を
導いてゆきたい